靖国神社の本質─『顕彰』から『鎮魂』へ

去年夏、掲載したものを一部書き直して再掲載します。 

 「私は、戦前と戦後を境にして、靖国神社の性質が、大きく変化したと思っている。 戦没者の祀られる意味が変わったのだ。 簡単に言えば、以前の靖国は、国に殉じた英霊達の魂が集まる場所であったが、戦後、それは、─「怒れる魂を『鎮魂』する場所」─となった。 むろんそれは、祀る側の心理面においてではあるが、それは、今生きているわれわれが、深層心理のレベルで、戦没者に対して、拭い去れない、「うしろめたさ」 を感じているということだ。

 保守派達が言うように、戦後、日本の発展は、彼ら戦没者が、─礎(いしずえ)─となって得られたものではない。 それは、戦って敗れた相手、アメリカによってもたらされたからという理由だけではなく、本質的にはそれは、日本古来から行われきた、─禊(みそぎ)─によって可能となったのだ。 要するに─厄払い─が行われたのだ。 戦後日本は、明治維新の始まりと同じように、それまで自分達を縛ってきた、異常な戦争状態(共同幻想)を、捨て去る、あるいは忘却するところから、猛烈な勢いで、発展を遂げる。 日本人の心理においてそのことは、─穢れた「死」に覆われた過去─を、払いのけなければ、成し得なかったことなのだ。
 つまり、われわれの心理では、終戦と同時に、戦没者も、なぜか復員兵も、シベリア抑留者も中国残留孤児も含めて、戦争の匂いを感じさせるものは、全て─穢れた者─とされたのだ。 靖国における、『鎮魂』 の本質はそこにある。 

 つまり、戦後、日本の発展は、彼ら戦没者を、─厄として「払う」─ことによって得られたのだ。本来であれば、犬死、飢え死にさせられた最愛の肉親の仇を討つために、日本人の手によって日本の戦犯が捌かれなければならなかったし、国家による大規模な遺骨収集や、ソ連に対する早期の捕虜の返還要求もされなければならなかった。 しかしわれわれは、それらを全て棚上げにし、戦没者に対し、慰霊らしきことは何ひとつ行ってはいない。 靖国神社を「慰霊・顕彰」の社というのであれば、本来そのことが成された上でのことでなければならないはずなのだ。

  太古の昔から、怨念を恐れた権力者が─怒れる魂─を神社に押し込め祀り上げてきたように、今われわれは、二百数十万の「魂」を、靖国に祀り上げている。」【M】