納豆ダイエットとワーキングプア犯罪?

人気番組『発掘!あるある大辞典Ⅱ』の一連の納豆ダイエット騒動で驚くのは、多くのスーパーで納豆が本当に売り切れになってしまったことと、朝日新聞が一面と三面にそれぞれにトップニュースで扱っていたことだ。
 あの番組で伝えられたことはほとんどでっち上げだったそうだが、いわゆる使用前使用後の写真を見ると、明らかに「嘘だろう!」というような激痩せ写真で、ふだんみんなが食べている納豆であんなに痩せるわけがなく、普通ならそれを見ただけで「あ!この番組はギャグで出来ているんだな」と思わないとおかしい。これが聞いたこともないどこどこ産のなんとかキノコとかだったらまだ解るのだが、納豆で痩せるというのは、どう考えたって変だろう。朝日新聞もいくらそれが週刊朝日のスクープだったとはいえ、一面と三面両方でトップニュースにするほどのことか。トップニュースにする価値があるとしたら、あの番組で、ほんとうに納豆が売り切れになってしまったという事実に「日本国民の民度の低さに絶望する」というようなことだけだろう。
 しかし問題なのは、テレビの言ってることは何でも信じてしまうというたぐいのことよりも、フジテレビや、関西テレビの上層部のエリート達がああいう内容の番組にオーケーを出してしまうことと、それに対して「これは情報操作という大罪!」と、大手マスメディアまでがバカ騒ぎしてしまうことだ。
 
 少し話は変わるが、今、NHKの『おはよう日本』と言うニュース番組で「格差社会と犯罪」という特集をやっている。格差社会のなかで、食っていけない人たちが、犯罪を起こしてしまうまでの事情を伝えるものだが、いわゆる今増えつつある「負け組」の話だ。しかし小泉さんが「容認されてもいいんじゃないか」といっていた格差は、本来、勝ち組には優秀な人、負け組にはそうじゃない人が属する社会でなければならないはずで、そうであれば、社会的なコンセンサスが得られないこともないと思うのだが、どう考えても勝ち組にいる人たちが優秀じゃない場合、逆に頑張って働いているのに全く報われない人がいる場合、心情的には、負け組の犯罪も正当化したくなってしまう。
 例えば、納豆騒動では、末端の番組制作会社のアルバイトとテレビ局の責任者との所得の差には雲泥の差があるはずだが、この事件から受ける被害は、圧倒的に番組制作会社のアルバイトの方が大きい。「テレビ局のバカ部長のために職を失った」と思った人が非合法な仕方で被害を取り戻したとしても、それこそ容認されてもしかたがないと思う人もいるだろう。

日本の将来を考えると、勝ち組といわれる人たちの度重なる官僚汚職や巨大企業の過失という明らかな犯罪もそうだがそれよりも、納豆騒動や不二屋騒動の首をひねりたくなるお粗末さを見ている方が「もっとしっかりしてくれよ」と言いたくなるような何か不安な気分になってしまう。
いずれにしてもはっきりしていることは、本来的な民主主義が体現できる公平な社会システムが出来ないでいまのまま格差の広がる社会になった時、日本が「犯罪大国」になることは目に見えている。何しろ日本には「神様」という公平な審判はいないのだから、法システムによって公平なルールを作る必要が絶対にあるのだ。それをしないで「格差社会」を容認するということは、そういう大きなデメリットを同時に引き受けなければならないということだ。【M】