朝日新聞特集記事─「愛国を歩く」(上)

今朝の朝日新聞の特集記事、「愛国を歩く」(上)は、若者の右傾化の特徴をよく表している。


 「なぜ、若者達は、国にひかれるのか」 という疑問から始まる紙面では、例えば、20代の学生、サラリーマンで組織する、[コンサバティブ・スチューデント・アソシエーション] の若者の言葉を引用する。 
 ─「人間は一人だけで生きてゆけないから、国は必要、日本に生れた以上、日本に尽くすのは当然でしょう」 「国は家族と同じ、父親である国が病気で弱っているから、私達20代は愛国心を呼び起こされているのでは」 「自分達イコール国だから、あえて言うほどのことはないでしょう」─
 ネットが仲介となって組織された彼らは、週末、喫茶店などにあつまって、議論を交わし、時にそれは8時間に及ぶこともあるという。 そのこと自体が決して間違っているとは言えないが、この感覚はいったい何処からくるのだろうか。
 
 批評家の羹尚中(カンサンジュン)は、社会が崩壊し、個人が「原子化」し、拠り所となるものが「ナショナリズム」にしかなくなってしまったという。しかしそれは、日本にかぎらず、中国にも韓国にも言えることだともいう。 また、作家の雨宮処凛は、右翼バンドにいたころ、「英霊を戦争犯罪人呼ばわりするやからは即刻日本から出てゆけ!」 と叫ぶとき、日本という共同体に直接つながった思いがしたと語る。


 今年の終戦の日靖国神社には、きっちりとスーツを着た、 あるいは軍服のようなコスチュームを着込んだ若者達が、 拝殿に向かって深々と頭を下げる姿をいたる所で見かけた。 そのような姿を見ていると、 「人間は一人では生きてゆけない」 「父親である国」 と言ってしまえる彼らにとっては、戦時中の─「史実」─には関心がなく、 ただただ、強く逞しい、あこがれの 「英霊」 であってくれればよく、 例えば喫茶店で「愛国」を議論する若者達は、いかに美しい言葉で、 虚像の英霊達を褒め称えるかを競い、 逆に、「史実」 に拘る者を、自虐性という単純な基準で批判するという、 バーチャル とも言える言説空間のなかで、癒されているかのようにも感じられる。【M】