つづき

軍の上層部だけでなく、兵士自身が自らの命を軽く扱ったことは、それが戦時中の特殊な出来事ではなかったことが、戦後の様々な史実を注視することでよくわかる。 日本人にとって、「生き抜く」 ことは、決して第一義的なことではないのだ。 しかしそれは、野蛮さや残酷さを意味するものでもない。 よく言われることだが、つまり日本人にとっては、「死」は必ずしも「外部」を意味しないのだ。 結果的に兵士達が特攻を受け入れたのも、上官が特攻を促すことができたのも、その深層心理において、靖国に、あるいは、ふる里の山に帰ることができると信じていたからだ。 例えば日本のあの戦争の戦い方が、とても近代に行われた戦争だとは思えないほど不可解であったのは、そのような後進性が、あの時期に噴出したからだ。

 しかしそのような後進性は、現代においてもさまざまな問題の核心を成している。例えば繰り返される薬害問題は、その典型だし、生存が確実な中国残留孤児の戸籍を抹消できたのも、悪く言えば、「命」を軽く扱う文化であるからであるし、擁護するなら、「死んで帰ってくればいい」 と心のなかで思っていたからなのだ。【M】